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連載企画「ITエンジニアの君たちはどう生きるか」
特別編 第1回 デフエンジニアからみる世界、そして未来に叶えたいこと

2019年4月1日

ITエンジニア・プログラマーは、中高生男子の「将来なりたい職業ランキング」最上位に位置する。

そんな憧れの職業であるITエンジニアには、数こそ少ないものの、聴覚障がい者も存在する。
C4Cの小島皓治さんも、デフITエンジニアの1人だ。

企業の社会的責任=CSR(Corporate:Social:Responsibility)が叫ばれるようになって久しい。
環境問題が中心的議題であるが、障がい者雇用もCSRの議題の1つである。
聴覚障がい者雇用を巡る環境的課題とは何か?聴覚障がい者がITエンジニアになるためには、何か必要か?

ITエンジニアとして活躍する小島に、デフITエンジニアの生き方について尋ねた。
3回にわたる本連載、第1回目の今回は、小島がITエンジニアとなるまでの軌跡と現在について紹介する。

これまでの経歴

――基本的なことからお尋ねします。小島さんの聴覚障がいは、先天性と後天性、どちらのものなのでしょうか?

1歳の頃のことで記憶にないのですが、髄膜炎に罹患し、熱が40度を超えて、耳が聴こえなくなりました。

――――これまでのご経歴について教えて下さい。

幼稚部は聾学校、小中高は健聴者の学校に通い、筑波技術大学に進学しました。

筑波技術大学は、視覚障がい者と聴覚障がい者を対象に、技術的な専門的教育を行う国立大学です。

同じ専攻の同期が20人ほどいました。だいたい7割ぐらいがエンジニアになっています。

他の専攻を含めると、学部全体で1学年50人ほどの学生がいました。

大学を卒業後は、別の会社にエンジニアとして入社し、ソフトウェアとアプリの開発を担当していました。その後、C4Cに移籍しました。

プログラミングに出会った大学時代

――――小島さんはなぜエンジニアになりたいと思ったのでしょうか?

高校までは、、全くパソコンに触ったことがありませんでした。

大学は、バリバリにパソコンを扱う専攻でしたが、いかに自分が無知であるかを知りました。

自分の足りていないところが、客観的に分かったと思います。

例えば、高校時代、国語や英語などの語学に関しては、周りの友達と同じ位の成績だったのですが、パソコンは全く未知の世界でした。

パワーポイントのアニメーションに感動したぐらいで、「パソコンって、こういうものなのか」と興味が湧きました。

大学でプログラミングの授業があったのですが、初めて学んだソフトウェア開発が、かなり難しく感じました。

でも、時間が経つにつれて、自分が書いたコードが勝手に動いてくれる、簡単な計算とかも勝手にやってくれる、そうしたことが面白いと思うようになりました。

それで、大学の研究科に行って、聴覚障がい者をサポートする犬をイメージしたロボットを作りたいなと思いました。

プログラミングをもっとやっていきたいなと思うに至りました。

interview

エンジニアという職業

――――大学の授業でプログラミングが面白いと感じるまでは、どのような職業に就きたいと思っていたのでしょうか?

小さい時はプロ野球の選手、高校の時は学校の先生でした。

――――大学の授業が、運命的な出会いだったのですね。専門的な教育を受けていない聴覚障がい者、例えば聾学校時代の同期の方たちは、どういう仕事をしていることが多いのでしょうか?

事務系の仕事や、簡単な仕事に就いていることが多いです。できるだけコミュニケーションを取らないで済む仕事、例えばデータ入力などの仕事が多いと思います。

私の周りには聴覚障がい者のエンジニアが多いですが、世の中全体で見ると、まだ数は少ないと思います。

そもそも、エンジニアになりたいという人が少ないと思います。

以上の小島のコメントから、聴覚障がい者としても、ITエンジニアとしても、小島が少数派の存在であることが理解できる。次回は、デフITエンジニアがなぜ少数派なのか、その理由を環境的要因から解き明かす。

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