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連載企画「ITエンジニアの君たちはどう生きるか」

第4回 こんなキャリアだってアリ!人力車夫からエンジニアに

2018年3月1日

2017年のソニー生命の調査によると、男子中学生の「将来なりたい職業ランキング」でプロスポーツ選手などを抑え、「ITエンジニア・プログラマー」が1位に輝きました。

ピアノ、水泳などの教室に並び、プログラミングは子供が習う人気の習い事になりつつあります。
ITエンジニアを目指す学生や、なりたての人も少なくないでしょう。

しかし、最初のデジタルコンピュータが世に出てきてわずか70年程度。ITエンジニアはまだ若い職業なのです。

スキルはどう積んでいけばいいのか?年を取った後のキャリアは?疑問は尽きません。

そこで、エンジニア40人を擁するITシステム開発企業、C4Cが5回連載で、エンジニアとしてどう生きるかのヒントを考えてみました。

終身雇用が崩れつつあるいま、キャリアプランも人それぞれです。IT業界を綿密に計画立てて走る人もいれば、豪快にハンドリングを切って飛び込む人だっています。C4Cに所属するエンジニアの一人、松本才佳さん(27)は、浅草の人力車夫から転身しました。人力車の持ち手をキーボードに持ち替えた理由とは?

新卒の会社で何も身につかず、人力車夫に転身

――――新卒から人力車の車夫をされてたんですか?

いえ、最初は一応、中小のIT企業にシステムエンジニアとして入社しました。しかし、身についたスキルは、JAVAで「Hello world」と打てる程度…。とてもエンジニアとは言えない状態でした。

3日程度のごく簡単な研修をこなし、放りこまれた現場で受けた命令は「何もするな」。パソコンによるインターネットへの接続も、本を読んでプログラミングを勉強することも禁じられました。やれることはせいぜいスマホでネットを見る程度。今思えば、プロジェクトの「狭間」の時期で何も仕事がなかったのかもしれません。

でも、現場には同じ会社から出向している先輩が何人もいましたが、指導は一切ありませんでした。食事に連れて行ってくれることも稀なほど。

「風通しが良い」と聞いて入ったIT業界でしたが、フラストレーションはたまるばかり、結局約3か月で辞めました。

その後、たまたま自宅が浅草だったことが縁で、人力車の会社に車夫として転職しました。
再びIT企業に行くことも考えましたが、当時のスキルはお粗末。落語好きで古い東京の風情に憧れていたこともあり、自宅近くで見かけた人力車に興味を持って飛び込んでみたのです。

新卒の会社を辞めてわずか2日目。正直、自分のキャリアを深く考えていたわけではありませんでした。

――――デスクワークから別世界への転身はどうでしたか?

最初は、「こんな高いサービスを売っているのか」という引け目を感じました。30分載せて料金9000円なわけですから。街頭でチラシを配り観光客に声をかけるのもつらかった。

でも、毎日300人くらい話しかけていたら慣れましたね。何より、上京してきた人に浅草の本当の魅力を伝え、楽しんでもらえるのがうれしかった。

たいていの人は浅草寺しか行かずに「何もなかったね」と帰ってしまうのですが、私は(縁結びで有名な)今戸神社など「裏の浅草」にも案内しました。いい思い出です。

実は今もたまに、車夫に戻ったりしています。

ただ、さすがに真冬に街頭に立ち続けるのは、寒さを通り越して悲壮感が凄かったですね。

そしてやはり、一度IT業界でまともに働いてみたいという気持ちが沸きあがったのです。

ぼちぼち就活をと考えていた時、人力車に偶然載せたお客さんがC4Cの関係者で、声をかけてもらった縁で契約することになりました。

車夫を辞めた次の日に現場に飛び込みました。

interview

――――でも、スキルはほぼゼロだったんですよね?どうやって学んだのですか?

人力車時代に自分でプログラミングの参考書を読み少しずつ自習していました。加えて、C4Cの亀山社長から「うちに来るなら社員を家庭教師につけるよ」と事前に提案があり、約三か月間の間、その社員とメールで「宿題」をもらい、勉強しました。

今ではSpringを使ったスマホアプリ開発やテストに携わっています。ちゃんとしたエンジニアの仕事をもらえるようになってまだ1年強。一人前とは言えず、現場でもいわば「人工呼吸器」を付けている状況です。

でも、現場では先輩方としっかりコミュニケーションをとって常に「助けてもらえる」ようにすることで、スキルを身に着けながら仕事をこなせています。二回目に飛び込んだエンジニア業界は、懐の深い世界でした。

今は仕事を辞めようと全く思っていません。人の生活を変える「IT業界」に自分も貢献している、と実感できるのが楽しい。今後の明確なキャリアプランはありませんが、以前の僕のようにITをやりたいと考えている人が出てきたら、手を差し伸べられる人間になりたいですね。